勝手に解説シリーズ(2)「問題は解決するな」Kan.さん

※勝手に解説シリーズでは、本を読んでみて、独自の解説をつけています。




こんにちは、しゅんすけです。





今回、気になった文章は


4ページ2行目にある


「問題は、人が解決するのではありません。

では、人は何をすればいいか。

目を覚まして、日々起こってくる出来事とただ出会っていくことです。」


です。




問題はどうして生まれるのか?



例えば、トイレに行きたいと思ったとき、トイレに行きます。

ここで、問題は生まれません。



しかし、誰かと真剣な話をしているとき

「すみません。ちょっとトイレに行きたくなりました。」と一言そえて

トイレに行けないような状況だったらどうでしょう?



トイレに行きたいけど、トイレに行けない!

という問題が生まれます。



トイレに行くという行為であっても、問題になる時と、ならない時があります。




素直に行動できない時、問題は生まれる。



問題とは矛盾です。


トイレに行きたい、トイレに行けない

○○したいけど、○○できない

 
問題の正体は、そんな矛盾や葛藤です。



人は素直に行動できている時、問題は生まれません。



公園の子供たちを見てみると

多くの子供たちは素直に行動しています。



そこに問題は生まれていません。



大人になると

○○するべき、○○しなければ

という固定概念が生まれます。




相手が真剣に話をしていたとき

トイレに行こうとして立ったら怒られた。


そんな体験があると


相手が真剣な時はトイレに行っては悪い、ダメだ、怒れる


そんな固定概念が生まれて、問題の種となります。



目を覚まして、日々起こってくる出来事と出会っていく。




例に出した

トイレに行けないけど行けない

という問題は


トイレに行きたい気持ち


トイレに行こうとして立ったら(昔のように)怒れるかもしれない気持ち


板挟みになっていることです。




これも一種のトラウマなのですが

目を覚ましていない人ならば
(普通に生きているだけならば)

問題の正体が、なかなか、わかりません。




目が覚めていない、眠ったままの人は

なぜがわからないけれど、トイレを我慢してしまうんだよな

自分でもトイレ行っていいと思うのだけど、なぜかトイレを我慢してしまうんだよな

という認識だけかもしれません。




少し目を覚ましてみえてくると

なぜが相手が真剣な時はトイレを我慢してしまうんだよな

という認識になります。




目を覚ましてみると

相手が真剣な時はトイレに行っては悪い、ダメだ、怒れる

そんな固定概念があるんだ

と問題の正体がみえてきます。




目を覚まして、日々起こってくる出来事と出会っていく


というのは


トイレに行きたいという出来事に対して

立ったら怒られる!という思い込んでいる自分と出会う


という事です。





問題は、人が解決するのではない。

問題は、見つめていると解けていく。



目を覚まして、問題の正体を見ることができるようになると

問題は自然とほどけていきます。



まるで夏に氷が溶けていくような感じです。



トイレに行きたいと思う度に

立ったら怒られる!という思い込んでいる自分と出会います。



何度も出会っていると…


今は昔は違うよな、とか

相手はそんな人じゃないよな、とか

「すみません。ちょっとトイレに行きたくなりました。」と一言いえばいいよな、とか


ふとした時に、問題がとけていきます。



もちろん。

頭で考えて、同じような対処はできるかもしれませんが、それでは本当の意味で解決しません。


トイレに行けるようになり、一見、問題は解決したかのように思えますが、立ったら怒られる!という恐怖がとれずに残ります。



問題の正体である 恐怖が を見つめることで、自然と、どこからともなく解決が訪れた時、本当の意味で恐怖がとけていきます。



人にできることは、目を覚まして、問題の正体をみること


なんだと思います。

創造の源から

いつでも、だれでも始められる「本当の自分」に還る旅


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