誰かの失敗を喜ぶあなたへ
しゅんすけです。
例えば
百メートル走をしていたとして
一緒に走っていた誰かが転びました。
☆ニヤリとしたり
☆あざ笑ったり
☆しめしめと思ったり
☆やったと喜んだり
といった自分がいませんか。
勝負ごとでれば
勝った方が嬉しいと思うのでしょう。
足に自信がないのであれば
「ビリにならないで済む」と思うかもしれません。
誰かを助けるのが好きなら
私が活きるチャンス到来と思うかもしれません。
どんな想いでも、想うこと自体は、自然なことです。
☆意地汚いとか
☆いけないとか
☆穢れているとか
自分を痛める必要はございません。
ただ ──
☆自分が何を欲しているのか
ということについては、一段階掘り下げてみてもいいと思います。
☆勝負に勝ちたい
→
褒められたい、認められたい
☆ビリになりたくない
→
無様な思い、恥さらし、情けないのはイヤだ
☆助けたい
→
助けられたい、気づいてほしい
そんな気持ちがあったりします。
僕は、小学校の頃は肥満体質で足に自信がなかったので
運動会はもちろん、体育の授業であっても100m走ではビリになりたくなかったです。
☆ビリになりたくない
→
無様な思い、恥さらし、情けないのはイヤだ
でした。
勉強が得意で、スポーツが苦手。
不得意な分野では、一番でなくてもよいから、ビリにはなりたくなかったのです。
☆勝たなくていいから負けたくない
見栄っ張りで、プライド高く、恥をさらしたくない、笑われたくなかったのです。
それでね。
こういった一段階想いを素直に認めることは大切なんです。
☆勝負に勝ちたい
→
褒められたい、認められたい
→
自分で褒めていいし、自分で認めていい
☆ビリになりたくない
→
無様な思い、恥さらし、情けないのはイヤだ
→
見栄っ張りを認める
☆助けたい
→
助けられたい、気づいてほしい
→
助けてほしい自分を認める
それだけで
自分が癒されて
結果に対する執着が薄くなり、人間的に大きな器になれるのです。
小学校の100m走だけではないです。
☆会社でも
☆家庭でも
☆プライベートでも
自分の深い気持ちを認めていくことが大切です。
じゃないと、深い気持ちが満たされず
延々と繰り返し
☆ザルに水を一生懸命注ぐような人生
になってしまうからです。
誰かの失敗を喜ぶ自分がいるなら
☆意地汚いとか
☆いけないとか
☆穢れているとか
自分を責めて、思考停止するよりも
☆なんで喜んでいるのか
☆何を求めているのか
☆何をして欲しいのか
といった疑問をもって、より深い自分を認めていく、内観を進めていくチャンスと捉えてください。
あなたが
人間としての器を大きくすれば
☆あなたも
☆周りも
幸せに一歩近づいていくのですから。
しゅんすけ
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